Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/html4/loose.dtd"> 希望についての話 Part 3

あさぎのラジオ

ラジオ版「学問ノススメ」 2006年5月13日の放送から。
希望についての話 Part 2

希望についての話 Part 3

蒲田:蒲田健がお送りしております「学問ノススメ」。本日のエキスパートは中公新書ラクレから出版されている「希望学」の著作者、東京大学社会科学研究所助教授の玄田有史先生です。
玄田さん、ご専門が労働経済学ということで、フリーター、更には昨今よく耳にしますニートと呼ばれる若者の就業形態、意識についての研究の第一人者でもいらっしゃるんですが、今回のアンケートから、フリーターとかニートといった人たちの希望についての意識も見えてくるんですかね?


玄田:ええ、そうですね。見えてくる気がしますね。
ニートっていうのは、最近ちょっと知られるようになってきたんで、ご存知の方も多いかもしれませんけど、学校にも行ってない、仕事もしてない、特別な訓練も受けてない若者たちで、何もしてない状態の人たちなんですね。だからニートって言葉が知られ始める時には、なんてだらしないんだ、なまけものなんだって言われてたんですけど、調べてみるとニートって、決してなまけものというわけじゃなくて、ある意味で真面目なんですよね。自分はダメだ、何も出来ないって思い込んでるところがあって、それに、働くとか、将来に対して希望が無いんですよ。
私自身、希望学を始めるひとつのきっかけは、なぜニート、フリーターもそうですけど、未来に対して希望が持てないんだろうと、もし希望を持つことが必要だとすれば、なぜ必要なのかってことを、具体的に明らかにしていかなければならないなぁって思ったんですね。
さっきご紹介したように、希望が持てないって言う人は、ニートに限らず、友達があまりいないとかね、家族の期待を感じた記憶が無いとか、それはニートと非常に共通するんですよね。やっぱり色んな意味で他人との関わり合い、今、色んな事が起こると、自分で頑張れとか、自己責任って言葉を使いますけど、確かにこの社会で自分で考えて自分で行動するって事は大事なんですけど、私たちが何かやってる時に振り返ってみると、あの時の一言とか、あれによって救われたとか、他人との関わりってすごく大事なんですよね。改めて希望学をやりながら、ニートとかフリーターを考える時にも、どう、大人、他人が、希望が持てない若者たちに、いい感じで関わっていけるのかってことが大事なんだなってことが、あらためて思うようになりました。


蒲田:改めて希望学を踏まえての、フリーターとかニートがかなり多いと言われている日本の社会について、玄田さんご自身のお考えというのは、どのへんになってきますかね?

玄田:あの、ニートたちの特徴は、非常に真面目だって言いましたけど、意味を考えないんですよね。

蒲田:意味を考えない。

玄田:ホントに訊かれた事があるんですけど、「働く意味ってなんですか?」とかね、「生きる意味ってなんですか?」とかね、「結婚する意味はなんですか?」って、どう答えます?

蒲田:ほっほ。難しいですね。

玄田:難しいし、あんまり考えすぎちゃうと、働くとか生きるの嫌になりません?

蒲田:うーん。そこまで突き詰めて考えて行動を起こすわけでは、必ずしもない、って感じしますね。

玄田:それに、あんまり世の中とか働くとか生きるとかって、そう白黒つけられないって、事実だと思うんですよ。例えば今、色んなことで白か黒か、回答や正解を求める。希望学にしても、こんな言葉があって、中国の魯迅っていう小説家の人が言ったんですけど、「絶望が幻であるのと同じように、希望も幻なんだ」って言葉がある。よく解んないですね、言ってる意味が(笑)。ただね、さっきの、失望しなければ希望も無いとか、希望を持たなきゃ失望も無いってのと同じ事で、希望の問題って、時には矛盾するんですよね。そう簡単に割り切れない。あればいいってもんじゃないのかもしれない。
「ショーシャンクの空に」って映画があって、その中でモーガン・フリーマンが、無期懲役で刑務所に入ってる役で、「希望を持つのは危険だ。希望は危険なものだ」って台詞があるんですよね。時にはそんなことだってあるんです。僕らは希望を持つことは、とっても意味があることだと思うけど、持てばいいってもんじゃない。時には、ホントに苦しい状況では、希望の意味なんて考えないことが必要かもしれない。
つまり何が言いたいかっていうと、あんまり簡単に白黒つけなくていいんだよって。良い意味で、いい加減でもいいんだよって。よくね、僕はニートの人たちに言うんですけど、「思い切り」っていう意味知ってる?って言うんです。「思い切り」っていうのはね、思いを切ることなんだって。ある程度一生懸命悩んでいい。だけど、本当に悩んで悩んで答えが出なければ、思いを切る。やめる。やめてどうするか。とにかく一歩踏み出す。一歩踏み出してみれば、全然違う風景が見えてくる。違う風景が見えてくれば、違うアイデアも湧いてくる。そんなもんだって。
だから今、意味という病というかね、色んな意味を考えなきゃいけない、正解を出さなきゃいけない。そういう風に考えたら苦しいですよ。希望だって色々矛盾に満ちてるし、生きるってことだって非常に矛盾に満ちてる。その中でなんとかやっていければ、人生ってなんとかなるし、まんざらでもないんだってことをね、やっぱり大人が若者たちに具体的に示していかないといけない。そんな時代だと思うんですけどね。


蒲田:うーん、なるほどね。そうか。今の日本、希望という意味でいうと、どうなんでしょう、持ち易い環境なんですかね?状況なんですかね?

玄田:持ちにくい国なんじゃないですか?さっきもちょっと言いましたが、我々の小さい頃っていうのは、野球選手にしたって、「なれる」って思ってましたからね。

蒲田:(笑)そうですね。

玄田:今の子供が、インターネットとか衛星放送を見て、イチロー選手とか松井選手とかを見て、ああ、自分は無理だって思い易いですよ。情報の洪水の社会って、やっぱり苦しいですよ。希望を持ちにくいですよ。だからね、今の若い人がね、しんどいっていうのこともね、大人がちょっと思わないといけないんじゃないかって思うんですけどね。

蒲田:あの〜、希望学の本の中に、挫折の上に新たな希望が出来るんだっていうようなことがありまして、そのためには技能が必要であるというような表現がありました。

玄田:段取りを踏むとかね、そういう言葉ってあるんですよ。何かを叶えるためには、最初に何をするか、箇条書きにして書いてみる。書いてみたら、まずどれからやるか。そんなこともね、希望を叶える大事なスキル、技能なんですね。希望っていうのは失望に繋がる。失望に繋がったらショックですよ。迷いますよ。その時に、迷う力っていうのかな、解らないっていうことから逃げない力、解らないことに対するタフネス、それを持つことってとても大事だと思ってて、この番組も「学問ノススメ」っていうんですけど、学問の意味っていうのはね、何か学ぶことだけじゃないって思ってるんです。知識を得ることじゃない。解らないって事に対してタフになることが、学問のホントの意味じゃないかと思うんですよ。

蒲田:ほほお、それは挫折失望が含まれますね。

玄田:含まれますね。だから、解らないってことから逃げ出しちゃうとね、希望のチャンスも逃げちゃう。解らないなりにジタバタしてみる。ジタバタしてるとね、誰か助けてくれたりもするしね、偶然色んなものが見つかったりする。そういう、希望と上手く付き合うには段取りを生むとかね、ジタバタする、ジタバタできる、そういう体力とかタフネスっていうのを身につけるというのがすごく大事だって、フリーターとかニートの問題を考えてる時からずっと思ってました。

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希望についての話

Part 1
Part 2
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Part 4

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