希望についての話 Part 1
蒲田:蒲田健がお送りしております「ラジオ版学問のススメ」、本日のエキスパートは玄田有史先生です、よろしくお願いいたします玄田:よろしくお願いします
蒲田:先日中公新書ラクレから玄田さんの編集著作で「希望学」という本が出版したてなんですが、今日はこの本の内容を踏まえつつお話をお伺いしていきたいと思います。
早速ですが、この「希望学」という学問、あまり、まだ聴き馴染みが無いという感じがしますが、これ古い学問領域ですか?
玄田:いえいえ、たぶんまだ新しく…、東京大学の社会科学研究所ってところにいるんですけど、そこで2005年からスタートしたプロジェクトなんです。
蒲田:あ、じゃあ、まだホント1年…経ってるか経ってないかぐらいの、じゃあ玄田さんたちが始められた学問領域、学問作ったわけですね。具体的には、どんなことを研究する学問なんですか?
玄田:前に、ある時にですね、Web書店のAmazonで「希望」っていうタイトルの本ってどのくらいあるのかって、調べてみてた時に、ここ最近で物凄く増えてるんですね。どうして今こんなに「希望」っていう言葉が取り上げられるんだろうと。
2000年頃に村上龍さんの「希望の国のエクソダス」っていう本が出て、非常に話題になったんですけど、今「希望、希望」って言われる、しかもそれが、あまり良い意味で使われない、「希望が無い」とか「希望が失われた」とか。じゃあ希望って一体何なんだろうって、一回真正面から直球ど真ん中で考えて見ないと、社会のこととか、今みんなが抱えてる問題って見えないかな、と思って。当然「希望」って難しいですけど、真正面から考えてみようって思ったのが希望学の始まりですね。
蒲田:ということは、まだ始められたばっかり…。日本だけの学問という感じなんですよね。
玄田:私たちも「そうかな?」って最初思ってたんですよ。そしたら、そういうことを今やるんだって書いた時に、ある人からメールが来て、外国からなんですけど、「自分たちも希望(hope)のこと考えてるんだ」って言われて、アメリカの文化人類学者の人たちだったんですけど、その人が言うにはですね、いわゆる9.11以降、アメリカでは「hope」っていう言葉がよく使われるようになったんだと、しかも、あまり良い意味じゃなくて使われてることが多いんじゃないかって言うんですよね。
例えば、その人が言ったのは、アメリカは、ブッシュ大統領の、色んな演説とかスピーチの中に、希望、hopeって言葉がよく出てくるんだってその人が言うんですね。それに対して、逆にブッシュは希望って言うことによって、何か隠してるんじゃないか、とかね、方向を見えないようにするために、あえて希望という言葉で何かを隠ぺいしてるんじゃないか、みたいなことを言って、ちゃんと「希望」っていうのを考えないと、「希望」って良いイメージあるじゃないですか。でも本当は、真実の希望と、何かを隠す偽りの希望、そういうのがあるんじゃないっていう。だからどうも、日本だけじゃないんじゃないかということを、最近すごくアメリカとか、オーストラリアとか、いろんな人の研究ネットワークが少しずつ出来始めてきて、最終的には、やっぱりこれは単なる日本だけの問題じゃないんじゃないかと、学びながら思うようになってきました。
蒲田:なるほど。あの、今ちょっと気になった言葉として、「偽りの希望」という言葉が出てきましたが。
玄田:例えば、20世紀、希望ということで色んな人を一番惹き付けた一人に、ヒットラーって人がいるわけですね。
蒲田:ヒットラー。あのナチスのヒットラー、え?彼が希望ですか?
玄田:私たちが言うと、とんでもない悪い奴だって感じがするじゃないですか。ただヒットラーが登場してきた時には、ドイツの希望の星なわけですよ。非常に暗い状況のドイツを変えてくれる。ヒットラーが世の中を良くしてくれるんだ、という、「ヒットラー=希望」だったんですね。
ただ、歴史を振り返ると、当然それは、色んなものを悪い方向へ持っていく、決して、どう考えても正当化できない、真実の希望ではないわけです。
今、私たちも色んなところで希望って言葉を聞くわけですけど、ホントの希望ってなんだろうって、偽りの希望ってあるんじゃないかって、そんなことも考えていかないといけないんじゃないかなぁ。
蒲田:なるほど。本質を見極めていかないと、かなり危険性を孕んでいると。
玄田:そんな気がしています。
蒲田:うーん。で、改めてなんですが、希望とは、何なんでしょう?
玄田:これはよく訊かれる難しい質問なんですけど、色々だと思うんですよ。これが唯一希望ってことはないと思うんですね。
例えば、今日お昼、ラーメン屋さんに入るとですね、壁に「大盛り希望の方無料」って書いてあったりするわけです。これだって希望ですよね(笑)。
ただね、これは、「大盛り希望」って言えば手に入る希望ですよね。だから、希望の中には、たぶんね、なかなか実現しない希望と、実現しやすい希望ってあると思うんですよ。私たちが考えるのは、やはり、実現は難しいかもしれないけれど、みんなが持ってる希望、何故叶わないのに人は持つのかっていう希望を考えたいと思ってるし、もうひとつは、例えば女優になりたい、歌手になりたいと思ってても、テレビを見て憧れるだけの希望と、オーディションに何度も落ちても、落ちても落ちても受けまくる、そんな、行動を伴う希望ってある。僕なんか、難しいかもしれないけど、叶わないかもしれないけど、何か行動に繋がってる希望、一体これがどんな意味があるのか、まぁ今あるんじゃないかと思ってるんですけど、その希望の意味についても考えたいと思ってるんですよね。
だから、それを持つことによって、難しいけど行動することによって、何かを変える。自分を変える、社会を変える、良い意味でね。そんな希望って大事なんじゃないかって今思ってて、そんな希望を考えたいと思ってます。
あの、後で少しアンケートの結果をご紹介したいと思ってますけど、希望学の色々な調査、調べてて、やっぱり希望を持ってる人のほうが、結果的に色んなやりがいとか充実感に繋がってることが多いと思う。しかもそれは、難しいけれども行動してる時の希望ですよ。ある人に、これはなかなか良い言葉ですねって言われたんですけど、
「希望を持たなければ失望もできない。失望しなければ見えない現実がある」。
そんなことってね、考えると、やっぱり希望って、とても大事なものなのかなぁって、一人一人が真剣に考える価値があるし、考えるための情報提供をする意味があるのかな、なんてことを、今、希望学をやりながら考えてるんですけど。
ある人がこんなことを言ってたんですね。野球選手になりたいってずっと思ってて、けれども、なれる人って限られてるわけですよ。
「ああ、やっぱりダメだ、オレはなれない。もう自分の人生はつまらない」と思った時に、
「じゃあ、あなたはなんで野球が好きになったの?」って訊かれて、生まれて初めて甲子園に行った時の、緑の芝生を見た時の感動、ここで野球ができたら、なんて素晴らしいんだろう。
「じゃあ、野球選手になれなくても、日本一の芝生職人になればいいじゃない」みたいなことを言って、そういう希望を持つことによって、もちろん上手くいかないけど、その中で色んなきっかけで修正していこうと思って、日本一の芝生職人になるかもしれないじゃないですか。それって希望を持ってなければ見つからなかった発見であって、そんなことって我々の人生の中で、とっても色々たくさんあるし、その意味ってことをちゃうんと考えていかないといけないって思ってるんですけど。
僕はね、希望っていうのはね、人生のプロセスを生み出す種、seedだって思ってるんです。人生って、これからどう生きていけばいいか解らないけど、何かのきっかけが無いとスタートできない、叶わないところで諦めるんじゃなくて、それをスタートポイントにして、途中で試行錯誤しながら、失望したり挫折しながら、そうして初めて自分のやるべきことが見えてくる。
だから、希望っていうのは、人生を軌道修正するための種、seed、そんなもんじゃないかなって、今希望学をやりながら思ってます。
蒲田:なるほど。「プロセスを生む種」。ひとつキーワードになりそうですね。