浪花節の芸風
浪花節は、関西節、関東節、合いの子節に大別される。
関西節が一番古く、明治三十年代まで浮連節と呼ばれた。
- 関西節
- 三味線の棹が太く、低調子が基本。節が中心で、節回しは多様性に富む。
主流は恭安斎の始めた京山派と、奈良丸を中心とした吉田派。 - 関東節
- 三味線の棹が細めで、甲高い音の連続で単調になりやすいが、哀切、悲壮感を表しやすい。
主流は駒吉を祖とする浪花亭派と、そこから独立した木村派、上州祭文に瞽女歌をミックスした東家派、でろれん祭文を発展させた玉川派。 - 合いの子節
- 関西節と関東節の間のような芸風。
伊勢祭文の流れをくんだ鼈甲斎虎丸(べっこうさいとらまる)が源流だが、二代目広沢虎造が売り出し時に活用してから浪曲師の多くが取り入れた。
一声・二節・三啖呵
浪花節の三要素。
まず声がいいこと。
つづいて節回しが上手いこと。
次に啖呵(たんか)、語りが上手いこと。
また、広沢虎造の清水次朗長伝テイチク盤〈秋葉の火祭り〉、次朗長と神沢小五郎の睨み合いの場面で虎造がこんな裏話を披露している。
「浪花節はこういうところが一番難しい。
弟子入りすると、一番はじめは声を調べて、
声ができると節から啖呵(文句・会話)を習います。
それが一人前にできるようになったら、今度は師匠が目を教える。
とにかく目の使い方というのは非常に難しい」